リサーチレポートの募集要項が発表される前から、去年から、テーマを何にしようか考えていました。
そのために今まで読んだことのないジャンルの本を読み、Google Scholerで見つけた英語の論文を読んだり、おバカな頭をフル回転させていました。
しかし募集要項をの発表を見て、がくぜんとしました。
自分があたためていた内容は、おそらく受け入れていただけないだろうということで、泣き崩れました。・・・というのが、先週のことでした。
論文の世界標準仕様
泣き崩れている時間などありません。(別に本当に泣いてもおりませんが。)
大学を卒業している友人に聞くと、論文とは、担当の先生が求めるテーマに合わせることが大原則なのだそうです。
それは「世界共通」だともいっていました。
経験者が語ることなので、正解なのでしょう。
それから、リサーチレポートの募集要項を印刷し、何度も読みなおし、考えることにしました。
リサーチレポート殿の13人
先生がた、お一人ずつの授業の概要を読みなおし、私がもともとやってみたかったテーマにできるかぎり近いことができそうな先生を見つけようとしました。
色々考えた末に決定しました。(ここでは内緒です。)
リサーチレポートの応募時には第1希望から第3希望を選ぶようにとあるのですが、第2、第3はつらいですね。
さすがにテーマを見つけることができないです。
狭い部分を見ないで、もっと広い目で見ると、見えてくるのかもしれません。
でも、第1希望がNG → あなたにはリサーチレポートを書く資格はないですよ、といわれているにも等しい気がするんですよね。
そして、テーマは突然降ってきた
「冗長」「ゆとり」がないとダメ。
もしかするとあってもダメかもしれないけれど、ないよりはあったほうがいい。
しかし「冗長」や「ゆとり」とは、それをまかなうだけの利益がふだんからないといけない。
現在の社会状況は「冗長」「ゆとり」がなくても利益を生むことが難しい。
ないものねだりの難しい問題を解決するためには、変革するための確固とした意志、それを支える策がないといけない。
皮肉にもコロナ大流行がそのきっかけを作ることになるかもしれない。
パンデミックまた起きる可能性は大きい。
今回のコロナ大流行を教訓に、「冗長」「ゆとり」を考えたい。
もしこの問題を克服する方策があるなら、それは社会にとって役に立つものになるにちがいない。
日本人が反省しないといけない点もあるが、日本人だからこそできることもある。
今一度日本人の底力も考えてみたい。
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