福祉政策と人権:その3

放送大学大学院

Photo by Unsplash, Amanda Jones

今日は第8回の放送授業を聴きました。
折り返しを過ぎました。
だんだん内容のハードさが上がっていきます。
初めて社会福祉を学ぶ人にとっては、なかなか厳しいです。気持ちを強く持たないといけないなと思います。(ヘタレ。。。)

福島市奨学金訴訟

今日の放送授業は、福島市奨学金訴訟の原告であるAさんと弁護を担当されたかたのお話を聞くという内容でした。

福島市奨学金訴訟とは、奨学金を収入とみなされ、生活保護費減額を受けたことに対する訴訟です。
原告Aさんのお子さんが高校進学に伴い、学費として奨学金を得ることになりました。しかし、福島市はその奨学金を収入と判定し、生活保護費減額を一方的に決定しました。

これだけでもすでに疑問いっぱいですよね。
「奨学金」ですよ。学ぶために使うお金です。何でこれを「収入」と判定するわけですかね?
と思ったら、福島市側の言い訳は「前例がなかった」→だから「収入」と判定した。
あきれちゃいますよね。
「生活保護世帯で奨学金を獲得した」というケースが今までにないのなら、新たにどうするか考えるしかないでしょう。
つまりは職務怠慢です。
なんなんですかね。授業を聴きながら呆れました。

前例がない → 考えるのが面倒 → じゃー収入にしちゃえ ってことは、何も仕事をしていない。
税金の無駄遣いですよ。

Aさんが裁判を起こしたのは、Aさんのケースが「前例」となり、同じことが繰り返されることを危惧したからだそうです。
行政がサボるから、一般市民がしんどい思いをしないといけなくなったというわけですね。

「悪の凡庸さ」

いつだったかな、XのTLに、アンナ・ハーレントの「悪の凡庸さ」についてのポストが流れてきたことがありました。

ナチスのユダヤ人迫害に加担したといわれるアイヒマンの裁判を傍聴してハーレントはその後、「エルサレムのアイヒマン」という著書を発表します。

ユダヤ人迫害に加わったアイヒマンは、反ユダヤ思想の持主でもなく、ただヒトラーの命令に役人として従っただけで、風貌も考え方も「普通の人」だった。

「普通の人」が、何も考えず命令に従い、業務をこなす。
「普通の人」は悪人ではないけど、自分のすることがどのような結果を招くのかはまったく想像できなかったのでしょう。

福島市奨学金訴訟のケースは「悪の凡庸さ」の例であるといえるようです。
奨学金を収入であると判定した福島市の担当者も、ふだんは真面目に業務に取り組み、一般市民としても、真面目に生活をしているのでしょう。
しかし、前例がないことを新しく検討するというイレギュラーなことをすれば、あまりよろしくないみたいなへんな忖度が働いたのかもしれません。

こんなことは私が働く職場でもありますよ。
だれもかれも、自分の評価にプラスにならないことはぜったいにしない。
得するか得しないか、それしか判断尺度がない人たちです。
職場にはまーーーったく尊敬できる人はいません。

残念なことに、行政とはちがって一般企業なので「悪の凡庸さ」が蔓延する組織はなくなるしかありません。
弊社は比較的年齢の高いかたが多く、あと数年、年金ゲットまでよろしくできればそれでヨシ!
自分がよければそれでヨシ!
「悪の凡庸さ」を極めたつわものだらけです。素晴らしい職場ですわ。

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