「国民健康保険における保険料賦課思想の変遷について」(三井 速雄・1997年)その3

活動日報

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どうせ迷子になるのなら、迷子になり続けましょう。
いつか出口が見つかるまでは。

💡本日分かったこと

三井氏論文のしっかり読みを続けています。
昨日は1960年代の提言や提案を確認しました。
今日はその後、1970年代~1990年代くらいまでを確認していました。

1960年代は、国保保険料を統一を求める声がありました。
それを受けて厚生省(当時)も、改正に向けて動き出します。

しかし国保保険料統一への機運は1960年代終盤で消滅するのでした。

国保保険料統一を望んだものの、実際に実施された場合、突然大きな変化が起こることになります。保険料がいきなりアップする場合などです。

私は大昔に、区役所の国保課でお仕事をしていたことがあります。
区役所で国保を管理するシステムの入替があり、そのメンテナンスというか、職員さんたちのヘルプデスク的な役割で、短期的にお仕事をさせていただいていました。

新しい年度の保険料が決定し、各被保険者に通知が届くという時期でした。
朝から窓口には、保険料の件で多くの人がやってきました。
「こんなの高くて払えない」みたいな陳情です。
窓口に来られるだけでなく、電話もかかってきます。

ということを思い出すと、なるほど、国保保険料統一化を希望をしても、急激な変化はちょっとなぁという気持ちは理解できます。

通常でこんな感じなのですから、大きく制度を変えた場合、特に保険料に影響がある場合は、窓口の方々はたいへんなのは明らかです。
その上、文句をいわれたところで、根幹のルールは市区町村側で決定しているわけでもありません。

そんなわけで「保険料の全国的な公平化、国民健康保険の財政の長期安定ということは市町村が強く求めているところではあったが、実際に実行する段階となると、これを拒否するという事態が生じた」(p64)
そして、国保保険料統一への動きは途絶えることになります。

しかし、財政危機は続きます。
だから、2018年度~の国保都道府県単位化は誕生したのでしょう。

そこで、次にすることは、1970年代以降、現代にいたるまででの状況を確認します。
なぜ都道府県単位化が断行されたのかを解くカギが見つかります。
ここまでくれば、次は、奈良県での国保のあり方を深堀しましょう。

やっと道筋が見えてきつつあります。
今週もがんばりましょう!

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