アカデミック・スキルズ課題②:その5

活動日報

Photo by Unsplash, Lukas Lehotsky

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医療政策とその課題ー日本の国民皆保険制度は持続可能か?」(浜田 淳・2021年)を読むシリーズその5です。

一文ずつ要約、続いています。

今日はお金にまつわる文章の要約ばかりしていました。
お金があるからといって幸せとは限らないけれど、ないことは不幸です。
不自由なことも多いし、あったほうがいいに決まっています。
色々なことが一気に解決できるはず。ないよりあるほうがいいです。
ということをしみじみ考えるのでした。

お金がなくても「コミュニティ」がある!

論文とか関係なしに読んでいた本ではっとする表現に出会いました。

人が人と出会ってともにすごす市民インフラの構築が必要なのです。診療所や公共交通機関でもいいし、公園や憩いの場、地区の施設、公立図書館、スポーツ競技場でもかまいません。(中略)
互いに共通する責任と帰属の意識を育めるような、公共の場所や共同の空間を創り出す必要があります。

「平等について、いま話したいこと」(マイケル・サンデル/トマ・ピケティ/岡本 麻左子 訳・2025年) p105-106よりの引用です。

この本は、マイケル・サンデルとトマ・ピケティの対談を文字化したもので、上記引用は、サンデル氏の発言です。

サンデル氏のいう「市民インフラ」「互いに共通する責任と帰属の意識を育めるような、公共の場所や共同の空間」は、今の日本にも細々とあります。例えば、町内会やマンション自治会のようなものがあります。

過去の日本には、「結」(ゆい)や「頼母子講」(たのもしこう)・「無尽講」(むじんこう)みたいな、地域住民が自発的に集まり、お互いに助け合うコミュニティのようなものがありました。

中には「定令」(じょうれい)といって、農民たちがお米をお金がわりに拠出して、医師を雇うというコミュニティもあったそうです。
お米が今の公的医療保険制度の社会保険料のようなもので、医師の診察を受ける時は受診料を一部負担していたのだそうです。(「日本の国民皆保険」島崎 謙治・2025年 p89)

で、さらに偶然なのですが、月曜日に放送大学教養学部の授業「地域福祉の課題と展望(’22)」「第11回 地域包括支援とは何か」を見ました。(私は普通のテレビ番組感覚で、放送大学の授業を見ることが多いです。)

そこで愛知県の「南医療生活協同組合」のことが紹介されていました。
南医療生活協同組合は、病院や介護施設などを運営しており、愛知県民なら出資金を出せばだれでも組合員になることができるそうです。

特に面白いと思ったのは「班会」というグループ活動です。
「班会」とは組合員同士3名以上で作ることができるグループです。
「班会」では医師を派遣してもらい健康づくりや健診のことを学習する、アロマセラピーの講習会をするなど活動されているそうです。
放送大学の授業では、体操を行う班会が紹介されていました。

お金がないのなら、色々な人が集まり、助け合うとか知恵を出し合うとか、そんなこともアリなのかもしれません。
そもそも国民皆保険制度の始まり、考え方もそういうことだったはずです。

まだ考えがまとまらないんですけど、国民皆保険制度を「維持」するより、バージョンアップするとか、リニューアルするとか、さらに発展させるとか、そういうほうがいいのかもしれません。

論文のタイトルも「これからの国民皆保険制度の話をしよう」とサンデル氏ふうにしたほうがテンション上がるかもしれません。😊

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