30年

活動日報

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今から30年前、1995年3月20日「地下鉄サリン事件」が起きました。
今日はその事件を題材にしたドラマが放送されました。

「1995~地下鉄サリン事件30年 救命現場の声~」

私はてっきり完全に「ドラマ」だと思っていたのですが、事件当時の営団地下鉄職員の方々の無線音声、救護現場や報道番組の映像が表示されていました。
津田 健次郎氏演じる主人公「救急救命センター長」の剣木 達彦が所属する病院名は「墨東病院」、被害者たちを救うことになる解毒剤PAMを届ける医薬卸「スズケン」と実在の名称が登場しました。

ドキュメント+ドラマのおかげで、過度な演出もありませんでした。またドラマのおかげで、本来ならもっと凄惨だったと思われる場面も、かなりマイルドに表現されていたと思います。

それでも切迫感は伝わりました。
地下鉄車内でへんなにおいがして、息苦しくなる。駅に着いて、電車から降りた人々はプラットフォームで倒れ込む。・・・身体のつらさはもちろん、何が起きているのかわからない状況ほど怖いものはないと思います。

営団地下鉄職員の方々が、プラットフォームに漏れ出たサリンを素手で拭く場面がありました。
何もわからないのだからしかたないですよね。
そしてその後、皆さんバタバタと倒れて行く場面がありました。
その時から30年の時間を経て、原因が「サリン」と呼ばれる化学兵器として使用される物質であることがわかっているから冷静に見られます。
もし、その場所に自分がいたら恐怖しかなかったでしょう。

でも、こんな時でも、営団地下鉄・医療・消防各関係者の方々が懸命に対応をされていました。
使命感といってしまえばそうなのでしょう。
誰であっても、私でも、自分の役割を果たそうと思うはず。だけど、何だかわからないことが起きていて、自分の生命も危ないかもしれない。
そんな時でも、使命を全うできることの理由は私にはわかりません。
だけど、これは人間だからなのでしょうね。

その後

実行犯とされた人たちの多くは死刑が執行されました。
それで解決されたわけでもないようです。
事件を起こした団体の後継団体がまだ存在していますし、いつの時代になっても、宗教に名を借りたただのカルト、犯罪者集団は存在します。

酷い犯罪が起きた時に、犯人には心に闇がある、みたいな表現がされます。
テレビのニュースなどで、有識者がこういう発言をするたびに、がっかりするんですよね。
なぜなら、心の闇など、誰にでもありますよ。中には、毎日楽しくて仕方がないとか、超楽天的で闇などないわという人がいるかもしれません。
でも、闇というのか、他人に気軽に話せない苦しさや辛さのようなものは、大なり小なり誰にでもあって当然だと思います。

毒物を撒いて、大量殺人を行うことを正統化できる人たちと、私との間には、紙一重くらいの差しかないと思っています。

私だって、毎日不条理と理不尽しかない職場にいて、う〇こ踏みやがれと思ってますよ。(笑
それでも、最後の最後で人間としての理性、プライドがあるから、コースアウトはしないだけです。
だからエライというわけでもなく、これが「普通」のはずです。
「心の闇」を飼いならせなくて、思うままに好きなことをする人間ばかりなら、とっくに人類は滅亡しているはずです。

とはいっても「心の闇」をどうすることもできない人や、そこに付け込む人がいることは明らかです。
どうすればいいのでしょうね。

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